HAZIMENI!
理学療法士である私の職場では年に数十回、1~3年目までが症例報告を行う機会がある。
一般企業にお勤めの方や多職種の方からするとだいぶ違和感を持たれるかもしれないが、この症例報告のための資料作成は業務時間内にできず、さらには残業代も出ない。
医療業界全般に言える、いわゆる「自己研鑽」というくくりにされてしまっている。
そもそも自己研鑽で行わせていることが"当たり前"であることも今後のテーマではあると思うが、今回課題に感じるのは「若者が意見を言わなくなった」ことである。
一昔前と比べ、若者が自発的に意見を言うことが少なくなってきた。それも、大人数で話し合う場面では顕著に。質疑応答で意見を述べるのは大抵役職者や経験年数そこそこの方たちだけである。
資料作成者と同様、この症例報告は業務時間内にやらないと言うのだから、「質問などしてやるか」と思うのも無理もない話ではある。しかし、ストレスを抱えながらも自己研鑽でなんとかまとめてきた発表を、同期や年の近い先輩・後輩が感想すら伝えないというのは実に寂しいものである。
そして、実にもったいない。世代が変わるごとに若者の発想はよりクリエイティブになっているというのに。
天才が生きづらい世の中。
『天才を殺す凡人』という書籍をご存知だろうか。
北野唯我が執筆(2019初版)したビジネスパーソン向けの書籍である。
本書では世のビジネスマンを「天才」「秀才」「凡人」の3タイプに分類し、この関係は縦の優劣ではなく、三角関係…というよりポケモンの御三家、「ほのお」「みず」「くさ」タイプみたいな相性関係になっているのだ。
天才:『創造性』で評価される/ 少ない
秀才:『再現性』で評価される/ 少ない
凡人:『共感性』で評価される/ 大多数
天才は凡人には理解できない発想を持っている。それゆえ、天才は大多数である凡人に理解されず表舞台に出にくくなっている、というのが本書で紹介される現代の社会構造である。
この社会構造に今の若者を当てはめてみよう。
ただでさえクリエイティブな天才たちがいたとしても、その発想を伝えにくい環境ができあがっているのだ。
天才を活かす秀才・凡人に。
私は天才だろうか?
科学的根拠に基づいて行動したり、他者とのコミュニケーションを重視しているため、どちらかというと秀才・凡人に当てはまるかもしれない。逆に、新しい仕組みや考えを持つことは苦手だ。
一方、今の若者は消極的ではあるものの、話してみれば「新しい」と感じる発想を持っている者が多少なりとも存在する。
組織を発展させるべく今後必要になるのは間違いなく『天才』だろう。
天才ではない私は天才にはなり変われない。
天才を活かす方向に舵を切らねばならない。
若者改革Project開始
はい。というわけで、若者改革Project第1段として、症例報告時の質問者サポートを開始しました。
方法
- 症例報告事前に、報告者の同期に質問を行うよう伝達(強制ではない)
- 質問し難ければ、横で赤茄子が考えを一緒にまとめるようサポート
- 実施後に質問の仕方や内容についてフィードバック
実施してみて…
自発的に質問できずサポートは必要でした。しかし、サポート後の質問の仕方・受け答えはかなり丁寧であり、追加質問も行えていました。
質問者に実施後の感想を聞いたところ…
- 聞いてみようとおもった内容はあった
- 質問するのはやっぱり怖い
- 短時間で意見がまとまらない
とこんな感じ。やはり、意見自体は構想できているが、文章化できなかったり恐怖心があったりと思考以外の要素がネックになっているようです。
今後も質問者サポートをしていこうと思う。
自発的に意見が言える若者が増えるように。